6.22 コネティカット訪問記~Kさんのお宅を訪ねて

※このNY日記はもともと田中ゼミの学部ゼミ生のために書かれたものです。

6月21日土曜日午後からコネティカット州のリッジフィールドにあるKさんのレストランとInn(旅館)を訪問してきました。Kさんという方はアメリカ人と結婚され、アメリカに35年在住。業界では知られたNYをベースとするジャーナリストです。

いっしょに車で同行していただいたのは、電通アメリカ社長のKBさんご夫妻です。KBさんは昔、電通の先輩で、ネスレやフィリップモリス、日本リーバなどをごいっしょに仕事したことがあります。60年代の若いころにカリフォルニアにわたり、苦労してアメリカで勉強された方です。奥様はとてもきれいな方なのですが、BOAC(いまのBA=英国航空)のステュワーデスをしていらしたということ。(元スッチー!)編み物の達人でもあります。私の家まで迎えにきていただき、レクサスの最高級車LSでリッジフィールドに向かいました。レクサスはまったく快適な車で、ほとんど物音がしないくらい静かで、安定した走りです。

コネティカット州といってもわからない人も多いかもしれません。ニューヨークのマンハッタンから右上、北西にあたる方向にあります。(ちなみに、ニューヨークというのは、いわゆるマンハッタン島だけを指すわけではありません。NY市のなかに、5つのボロー=Borough=行政区があります。それはマンハッタン、クィーンズ、スタテンアイランド、ブロンクス、ブルックリン、です・・・「クィズショー」という映画を見ていたら「クィーンズはニューヨークじゃない!」とのセリフを言うニューヨーカーが出てきましたが・・・

またNYは州でもあり、私の住んでいるのは、NY州のウェストチェスター郡(カウンティ)にあるハリソン町(村)です。このあたりはわたしもまだよくわからないのですが、ひとつの町は同時にTownであり、Villageであることがあるのです。私の街はハリソン町でもあり、ハリソン村とも両方なのです。また、NY州というのは広くて、北はナイヤガラの滝があるあたり、カナダとの国境まで含みます。NYは結局漏斗のように下が細くなった形をしていて、一番下の細くなったところが大雑把に言うとマンハッタンなのです。ですからNYに住んでいますといっても、いわゆるマンハッタンでない可能性もあるわけです)

コネティカット州はNY州のお隣なのですが、すぐコネティカット州に入ったところにあるグリニッジという町には日本人学校があり、日本人も多く住んでいます。またそれだけでなく、全米でもお金持ちの住んでいる地区としてよく知られています。そのあたりにあるWiltonという高校は全米でもトップの優秀な高校で、そういう学校に子弟を入学させようとしてお金持ちがそういう地区に殺到するため、自然に土地の値段もあがり、お金持ちしか住めないような環境になるわけです。アメリカの雑誌には全米の高校ランキングというのが毎年掲載されます。私の住んでいるウェストチェスター・カウンティにもライやハーツデールなどの優秀な教育水準を誇る地区があります。

その土曜日は(日本の梅雨のような)雨の降るなか、午後2時にKBさんの車で自宅からコネティカットに向かいました。KBさんの車にはアメリカの車には珍しくカーナビがついています。最初に行く場所さえ入力しておけば、英語で方向を指示してくれるので、とても便利です。しかしカーナビはアメリカではほとんど普及していません。アメリカでは日本の世田谷のような複雑怪奇な道がないせいでしょう。

私の家からは1時間かからないうちにリッジフィールド到着。まわりは深い森に囲まれたすばらしい環境です。そこがKさんのご主人がオーナーとして経営するレストラン兼旅館なのです。いったん旅館(もちろんアメリカ式のロッジ)に荷物を入れて、近所に見物に行きました。

行った先は近くの商店街なのですが、商店街といっても中央線の駅前のような雑なものではなく、洗練された商店が並んでいる成城という感じの街です。そこでConsignment Shopというところに入りました。コンサインメントショップというのは日本的に言えば、委託販売の中古道具屋なのですが、そのあたりに住んでいる人が自分の家財道具が不要になったとき、その店に委託して家具などを売るという仕組みです。しかしお金持ちが多いせいか、そこにおいてある家具はどれもすばらしく、しかも安い価格なのです。古い家具ばかりなのですが、日本では見かけないようなカップボードとか飾り棚などが目に付きます。雨がまた降ってきてぬれながら車に戻り、Kさんのレストランに戻りました。

KさんのレストランはStonehengeと言います。もともとゲイのイギリス人が80年?以上前に始めたのがはじまりで、それをKさんのご主人が買い取り、経営を引き受けたというわけです。旦那さんのダグラスさんはフランス系の母親をもち、もとカーレーサー?だったり、ホテル勤めだったという、男前の方です。車(ベンツ、フェラーリ、ジープを所有)好きでとても気さくで冗談ばかり言っています。

その日の午後はレストランでユダヤ人の家族が集まり、お子さんのバー・ミツヴァ=「成人式」を祝っていました。バー・ミツヴァが何かは以下を参照してください。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwgj9369/mystery/Jewish(3).htmより引用:

現在リンク切れのため、Wikipedia-バル・ミツワーを参照下さい。

ユダヤ教では、男児が一人前の成人として認められる年齢は13歳だ(女児は12歳)。
男児は13歳になるとバー・ミツヴァ(Bar Mitzvah)になる。バーとは「子」を意味するアラム語(ヘブライ語のベンと同じ)で、ミツヴァはユダヤ教の律法上の戒律を意味する。だから、バー・ミツヴァは、ユダヤ教の宗教上の義務を負う人、すなわち成人男子という意味となる。
ユダヤ教のシナゴーグでの礼拝には最低10人の成人男子(ミニヤン minyan) の出席が必要だが、バル・ミツヴァとなるとその一人となることができる。また、シナゴーグでのトーラーの朗読や祝祷の資格も与えられる。トーラーや祝祷はヘブライ語で書かれているので、リナの2人の息子サミーとジェイクのようにアメリカに住む子供にとっては、バル・ミツヴァを迎えるには大変な準備が必要である。ヘブライ語でトーラーを暗記しなければならないのだ。
バー・ミツヴァとなる少年の家庭では家族上げてお祝いをする。
女児の場合には、バット・ミツヴァ(Bat Mitzvah)の儀式が行われる。バットはヘブライ語で娘の意味。女児と男児の差別を解消するために出来た比較的新しい制度だが、正統派ユダヤ教徒はシナゴーグでのバット・ミツヴァの儀式は行わない。

ユダヤ人はすべてそうであるわけではありませんが、良く知られているように優秀な家系が多く、経済的に成功している人も多いわけで、おそらくはそのような家族なのでしょう。きれいに着飾った子供たちがいました。このあたりにはそのような人たちが多く住んでいるようです。(なお、私の経験では割とユダヤ人と日本人とは親しくなりやすい傾向があります。ちょっとメランコリーな性質が似ているせいでしょうか。現に私のアメリカ時代の親しい友人のうち二人はユダヤ系の人たちです。こうした人たちもいろんなユダヤ人がいて、ひとりは戒律に従って豚は食べませんので、日本に来ても横浜の中華街に連れて行くことができません。もうひとりは後でイラン人と結婚したくらいでほとんどユダヤ的な生活習慣をもっていません。

・・・ちなみにクリスマスのときは要注意です。アメリカ人はすべてクリスマスを祝うなどと考えては間違いです。ですからクリスマスカードを出すときも、相手のそうした人種的・宗教的立場を考えて出さないといけません。クリスマスは当然キリスト教の祝い事であり、ユダヤ人はクリスマスを祝わないからです。ですからアメリカ人にクリスマスの時期にカードを出すときは、Happy Holidaysというカードを出すのがセーフです。マーケティング関係の有名な教授はかなりの割合でユダヤ人であることが多い。デビッド・アーカー教授、フィリップ・コトラー教授はユダヤ系です。亡くなった昔の女優のオードリー・ヘップバーン<本当はヘバーン>などもそうですね。

ちなみにユダヤ人の習慣として割礼があります。割礼とは、男の子が生まれたときにおちんちんの皮を切る習慣です。ですからユダヤ人には包茎の悩みは無いことになります。日本では良く包茎専門の医者の広告が男の子の雑誌に出ていますが・・・こうした割礼は衛生的な意味合いもあるのですが、もちろん宗教的な意味があります。私の友人のユダヤ人女性は「みんな割礼はするものだと思っていた」と言っていました。日本人はもちろんしませんね。

・・・なお、関係ないのですが、日本人はアフリカ系だけでないユダヤ系に対する人種差別にまだ驚くほど、無頓着です。例えばある高名な日本の企業経営者が昔書いた「ユダヤ商法」<たしかカッパブックスで70年代にベストセラーになった>というような本などはとても英語には訳せない。ユダヤ人がそんな本が書かれていることを知ったら激怒するでしょう。日本の本屋には無造作に「ユダヤの陰謀」とかいうような本が並んでいますが、そういうセンシティブな問題に対してまったく無神経です。なお、ヨーロッパでは反ユダヤ的な言動は単に社会的な差別ではなくて、法律によって犯罪になることすらあります。)

夜7時からそのストーンヘンジでの食事が始まりました。フレンチなのですが、まあアメリカのフレンチレストランというのはどこもかなりアメリカ化されているものです。いまのシェフはブルーノさんといい、フランス人でパリで修行してからアメリカに来た方ということです。ジェネラルマネージャーはジョゼフ・メットルディー氏、もともとユーゴスラビアから移民してきて、ハワイで数年いてこちらにきた方です。このへんの人の移り変わりがアメリカらしいですね。私はきのこのシチュー(みたいなもの)とバッファローのビフテキをレアで食べました。バッファローは養殖されていて、脂肪が少ないので、健康的な食べ物なのです。日本では滅多に食べられないので、トライしてみました。きのこ料理もおいしく、バッファローもやわらかくてとても上品に仕上がった料理でした。

食事はオーナーのご主人もいっしょです。出された赤ワインもとてもおいしいのです。私は普段アルコールを飲まないのですが、赤ワインはおいしいことが私にもすぐわかるくらいでした。

こうして書くとKさんたちは順調な成功者のようですが(もちろん彼らはアメリカ社会で成功している方たちなのですが)、途中では大変なご苦労があったようです。もともとのこのストーンヘンジはとても古い建物を買ったわけですが、なんと1988年に火事で全部燃えてしまったのです。そのときKさんはモーパッサン(フランスの小説家)の初版本を所有していらしたのですが、それも燃えてしまったということです。しかも古い建物だったせいもあり、保険が十分かけられなかったので、レストランを続けるかどうか悩んだというお話でした。火事の後で、レストランの建物を再建され、経営を軌道に乗せて再び成功された経過には大変なご苦労があったと思われます。またKさんも数年前に体調を崩され、手術されたという経緯もありました。ご主人ダグラスさんはそのとき、日本的なのですが、好きなタバコを断って無事を祈ったのだそうです(願をかけるというやつですね・・・もっともKさんがよくなられたので、またタバコを吸っているのですが。)。Kさんは普段マンハッタンまで列車で通う生活で、マンハッタンには夜景のすばらしい高層マンションを保有されていて、そこはオフィスとして使っておられます。

その晩は食事がおわるとすぐに、上の階のロッジで寝るだけです。とても寝心地のよいベッドでゆっくり過ごしました。

朝食を部屋で取って、ロッジのロビーでKBさん夫妻を待っていると片言の日本語で話しかけられました。アメリカ人で前に三重県の津にファイバーグラスの工場を立ち上げるために日本に2年間行っていらしたということです。ご夫妻でこのロッジにこの近所に住む息子さんを訪ねていらしたのです。私の英語がうまいとお褒めいただきましたが、私は出だしの自己紹介の部分だけ英語が多少スムーズに出るだけで長く話しているとボロが出る英語でしかありません。

この日は朝からまずKさんのお宅にお邪魔しました。そこはレストランの場所から数分なのですが、さらに森のなかに入って行きます。6エーカーの広大な敷地のなかに立っているのは、1920年代末大恐慌の時期に立てられた築75年の住居です。もともとはマンハッタンのお金持ちが建てた別荘だったそうです。それを1984年にご夫妻が購入なさったのです。元はもっと広くて8エーカーばかりあったらしいのですが、2エーカーを売ったということです。エーカーといわれてもピンとこないと思います。1エーカーは4047平米、ということは、24282平米=156メートル×156メートルの敷地ということになります。ちなみに私の横浜の家は敷地100平米なので、う~んその243倍か・・・。

その家はフランスの邸宅を模したもので、入るとまず玄関があり、サンルームのような部屋を通って右には広いリビングルーム、左には食事をするダイニングと台所。2階に通じる客間もあるのですが、その客間から一階のリビングに通じる「隠し階段」もある面白い設計です。暖炉は一階に二箇所。どの部屋にもご夫妻が集めた骨董や絵画、飾り物がところ狭しと置いてあります。どれもとても品が良い品物です。アメリカにはこうしたアンティークを大事にする気風があるのです。

ご主人のダグラスさんが庭を案内してくれました。庭はとてもよく手入れがしてあり日本の木や、不思議な年に10回くらい色の変わる珍しい樹木「カバービーチ」などがあります。

Kさんの御宅では毎週 庭師に手入れをしてもらっているということです。しかしこれだけ広いお庭の手入れはとても大変で、大きな木を何本か切り倒す必要があったのですが、一本大きな木を切り倒すのに頼む費用は、なんと3000ドルもかかるのです。しかもそれは木を切るだけで、その木を薪にするためにはまた別の業者に頼まなければならないということです。広いお庭をもつのも大変なことですね。

庭にはプールがあり、ジャグジーもついています。森のなかの夢のような空間です。そのとき、突然、飼っている犬のコッカースパニエルのボボが鳴きだしました。

庭のかたすみに鹿がいるのです。まだ若いバンビです。なんでも敷地のなかには4匹くらいの鹿が住んでいるということ。ボボの勢いに押されて森のなかに戻っていきました。もと猟犬であるボボ君にとっては野生の動物を見ると血が騒ぐのでしょう。ほかに2匹のきつねや、あるいは狸やアライグマなども棲んでいるのです。言葉を失いますね。ちなみに私の横浜の家には野良猫が一匹住みついていますが・・・。

Kさんのおうちに圧倒されながら、アンティークの展示が行われている高校の敷地に向かいました。そこでは広い敷地にテントが並んで、何軒ものアンティークショップが自分の商品を並べているのです。この展示はアンティーク屋さんが買いに来るプロのための展示なのですが、素人も買うことができます。ただし掲示してある値段はとても高いのです。数千ドルする机や家具、飾りが並んでいます。

それからお昼の食事に向かいました。アメリカ風のレストランでサンドウィッチ。サンドウィッチといっても日本で食べるやわらかい食パンのサンドウィッチではありません。ハンバーガーもサンドウィッチの一種で、バンズなどパンにはさまれたものは何でもサンドウィッチです。

さらに、ウェストポートという街に向かいました。ここの商店街はまた先に書いた商店街のようにとても上品で、お金持ち風の人たちがお客さんです。俳優のポールニューマン、クリントンイーストウッドなどもこのあたりに住んでいるらしいです。なお、ここまでに書いてきた地区ではほとんどマイノリティの人を見かけることがありません。Kさんのご近所では、アフリカ系アメリカ人の人を見ると振り返ってしまうほど少ないし、またヒスパニックなどLatinoの人たちも町ではほとんど見かけません。驚くほど完全にWASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)の世界です。さまざまな人種が入り混じるマンハッタンに比べるとウソのようです。Kさんの近所に投資業で成功したヒスパニックの人が近所の知り合いが引越したあと、唯一最近住むようになったということです。

アメリカではもちろん表立った差別というのはありません。しかし以上のような事実上のSegregationというのはあるし、また隠然たる差別というのは残っています。これは別の方に聞いたのですが、NY州の北の田舎のほうでは、やはり差別があって例えば、運転免許の実地試験では白人が試験官をしていると、アフリカ系などのマイノリティの人は(差別されて)受からないので、NY市に来て受験する人などもいるそうです。われわれのような訪問者は幸い、こうした差別に直面することはあまり無いのですが、やはりこうした隠れた形でそういう差別があちこちに残っているように感じられます。

ウェストポートの町でウィンドウショッピングを楽しみ、帰途に着きました。アメリカのまたひとつの断面を見た経験でした。

8.16- NY大停電の顛末

中央大学名誉教授。事業構想大学大学院客員教授、BBT大学院客員教授。日本マーケティング学会会長、日本消費者行動研究学会会長などを歴任。田中洋教授オフィシャルサイト Marketing, Brand, Advertising