2004年3月11日 ニューヨーク便り(1)

※このNY日記はもともと田中ゼミの学部ゼミ生のために書かれたものです。

ニューヨークに降り立ったのはまだ肌寒い2003年4月だった。2月に住むところを一度下見に来て決めていたのですぐにニューヨーク郊外の借家に入ることができたものの、当然家のなかには何もない。持参した空気ベッドを膨らませてとりあえずその上に寝た。幸い電話線だけは不動産屋が手配しておいてくれすぐにパソコンでインターネットにつなげることだけはできた。電話機もなかったので不動産屋さんが使っていない電話機を貸してくれた。

そんな心細い状態から生活を立ち上げてなんとか生活らしきことができる状態になったのは6月ころだろうか。車を買い家具や寝具を揃え、料理らしきことをはじめた。その夏からは家内と娘がこちらに来てなんとか生活らしき生活ができるようになった。長年ペーパードライバーだった私が夏にようやく自動車免許を取った。

私の住んでいるのはマンハッタンのグランドセントラル駅から列車で北東に40分行った郊外のハリソンという町である。今度メッツに入団した松井カズオ選手がこの町に家族と引っ越してくるらしく、この町の日本人の間で話題になっているところである。

ハリソンは最初日本人家族が住むには良いところである。静かで犯罪も少なく海に程近い。ただし家賃は安くない。私は一軒家を二家族で割って住むデュープレックスというタイプの家に入居しているが、家賃は月々3000ドル・・・ニューヨークは安全をカネで買うところである。それを致し方ないと承知して法政からいただく賃金の多くを家賃に廻してなんとか貧乏でも豊かな?暮らしをしている。

コロンビアといえばウタダヒカルさんが入学したことで知られているようだが(今は休学しているらしい)、アイビーリーグ校のひとつで昨年開学250周年を迎えた。法政が120年の歴史であるからその倍の歴史ということになる。私学であり学費も高いので「秀才のお坊ちゃま・お嬢さま」が行くというイメージの大学である。

コロンビアのアドバンテージ、それはなんといってもマンハッタンにあることだ。大学の案内書には”自慢げ”にColumbia University in the City of New Yorkと記されてある。コロンビアはマンハッタンの西北、ハーレムの隣にある。ハーレムといっても現在のNYは相当安全な場所になったため、コロンビア周辺も昼間はほとんど心配がない。

私の所属するビジネススクールは学部をもたない独立大学院で、学生数は約1000人。90年代後半から毎年入学希望者が増え続けており、最近の受験者と入学者の比率(受け入れ率)は12%くらい。92年ごろまでは受験者の47%が合格していたのに比べると様変わりである。やはりビジネススクールを修了するとそれだけの高収入や地位がある程度保障されているからこそこのような人気になっているのだろう。

私はここのマーケティンググループで客員研究員として最初の一年を過ごした。私のボスはモリス・ホルブルック教授。ポストモダン消費者行動研究の主導者であると同時に行動科学的アプローチでも実績を残している多彩な研究者である。コロンビアビジネススクールでの最初の一年は私にとって刺激に満ちたものだった。

2004年4月14日 ニューヨーク便り(2) ”ニューヨークへの期待と現実”

中央大学名誉教授。事業構想大学大学院客員教授、BBT大学院客員教授。日本マーケティング学会会長、日本消費者行動研究学会会長などを歴任。田中洋教授オフィシャルサイト Marketing, Brand, Advertising